50歳でブログ、始めました(1)なぜブログ?

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動画全盛の今、なぜブログ?

YoutubeやTiktokなどの動画全盛の今、なぜブログを始めたのかというお話です。

私も日ごろ、料理や語学、などなどの動画を視聴して、無料でいろいろなことが知れる便利な時代になったな、と日々感心しています。

 

ただ、ついついリコメンドに従って多くの時間を費やしてしまっているな、自分の興味の範囲外のものと出会う機会が限られているな、感じることも多いです。あなたはどうですか?

 

便利ではあるけれども、限りある人生の時間をほとんどスマートフォンやパソコンの画面を見て過ごすのは少しもったいない。

 

使っているつもりで、実は使われてるのかもしれない、などと感じるのは私だけでしょうか。

 

読み手の想像力にゆだねたい

文字メディアのいいところは、自分のペースで読めるところ、そして読み手の想像力にもゆだねられるというところかな、と思っています。

読みたいところまで読んで「続きはまた明日」でもいいですし、少しずつ読み進める楽しみもありますね。

 

  • 書いている人はどんな顔をしているんだろう?
  • 普段どんな暮らしをしているんだろう?
  • どうしてこのことを考えるようになったのだろう?

 

そんな風に見えない相手に思いめぐらせ、即座に答えが出ないところがかえっていいな、と思うのです。

 

私は以前、フィルムカメラでの写真撮影の表現教室に通っていたことがあります。

撮影してから現像、プリントしてやっと作品を見ることができる時差や、仕上がりを想像しながら撮影をする瞬間が楽しかったな、と思ったりします。

 

書くことで、自分の想いに気づく

数日、時には数か月して、あるひとまとまりの文章になったのを読み返すとき「ああ、私はこんな風にものを見ていたのだな」「こんな風に考えていたのだな」と改めて気づくことがあります。

 

ふと考えたことを最初はメモ書き、そして少しずつ膨らませていきます。

 

書く瞑想を「ジャーナリング」といいますが、自分の頭の中にある思考や想いをいったん自分の体の外に出して、それを改めて眺めてみることで、新たな自分に出会うこともあると感じます。

 

手間がかかるからこそ、愛しい

書くメディアとしてはフォーマットがすでにある「note」や「ameblo」などは無料で使えて気軽に始められますね。

ただあえてホームページを作ってブログ、という少し手間のかかる方法を取ったのには、わけがあります。

路地裏の奥まったところにあるちんまりしたカフェに、誰かがふらりと訪ねてくるのがこの「ミモザ堂」のイメージです。

 

カフェからは小さい庭が見えて、そこには季節の花や果実の木が見えていて。

たまたま通りかかった人、迷い込んだ人など、偶然の出会いがあればいいなと思っています。

 

あなたが訪れた時には、いつもここに居るようにできればと思っています。

あくまで私が日々感じ、私のフィルターを通じて発信している言葉たちです。

それが誰かにとってのささやかなギフトなったらいいなと思いこのブログを綴っています。

 

今日、あなたに届いたならとても嬉しいです。

ご都合のいい時に、またいつでもお越しください。

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