庭と生きる母の人生
もうじき80歳を迎える私の母は、花や果物が大好きです。
転勤族の妻として、任地任地で子供を授かり、私たち3姉妹の母として生きてきました。
私が小学生の頃に急に園芸に目覚めてからは、転勤で行く先々で庭をすべて花や木で埋めてしまう、そんな母です。
今は近県で離れて暮らしていますが、庭で収穫したブルーベリーやデコポン、ゆずなどを3姉妹に宅急便で送ってくれたりします。
母と先日電話で話していると「スモモとりんごの苗を植えた」といいます。
そして「この果実がなるまで生きていられるかしら」と、からから笑います。
そんな母を見て「先々に楽しみにすることを作っていくことが、気持ちが老いずに暮らしていける秘訣なのかもしれない」とふと思いました。
花や木を育てるという行為は、彼女にとってただの趣味以上の意味があるのかもしれません。
対照的な父と母の時間の使い方
一方の父は、長年従事してきた営業の仕事を65歳で引退した後、70歳くらいまでは小さな会社の代表を務めていました。
70歳過ぎまでは週に1回ほど都心に出かけて、気ままにぷらぷらと遊んでいたようです。
後期高齢者になる頃には完全引退し、家事もせず、地域に出ることもなく、ひたすら大リーグ中継や昔のテレビドラマや映画を見て過ごしています。毎日の晩酌も欠かしません。
同学年の父と母。
能動的か受動的か、同じ家に暮らしながら、食べる量や動く量もまったく異なり、その結果は歴然でした。父はみるみる体が弱り、入院したり、介護認定を受けたりしました。
どちらがいいとか悪いとか、そういう話ではありません。
仕事を頑張り、会社の命に従いあちこち飛び回り、途中でうつ病による休職も経験しながら、定年まで勤め上げた父。
そして、家事育児の一切を担い、その父を支えてきた母。
どちらも尊敬しており、両方の要素が今の私を形作っているとこの頃は強く感じます。
ただ、老いの過ごし方については、深く考えさせられました。
老いをどう過ごしていくかを考える
80歳手前で果樹を植える母の姿から感じたのは、年齢に関係なく、未来に向けて何かを育てようとする意思、意欲の大切さです。
果実を実らせるには何年もかかることがあり、その育て方などを園芸本で学んだりしています。そんな好奇心を持ち続ける姿勢や、脳に刺激を与える習慣も見習いたいと思うところです。
母は決して勉強ができるといったタイプではありませんが、縫物や編み物、園芸、果実酒づくりなど暮らしに根付いた趣味をたくさん持っています。
人生の終わりを思うことは、生き方を考えることでもあります。
その日その日をどう過ごすか。
自分の心が豊かになることを選べることが、老いの期間を豊かにしてくれるのかもしれない、と思いました。
果実が実る未来に想いを馳せて
父と母の背中から、自分がこの先どんなふうに高齢期を過ごしていくかを、身をもって教えてもらっている気がしています。
「果実が実るのを見るまで生きていられるかしら」と笑う母。
その笑顔に、私は希望と楽観を感じます。
たとえその実を自分が食べられなかったとしても、何かを植えるとということは未来に種を蒔くということ。
その想いは、私たちの心の中で生き続けることになるでしょう。
果樹を植える母の姿が、私に未来のヒントをくれているような気がします。いつになっても未来に一つでも楽しみを持っていたいと思います。
あなたはこれから訪れる、人生の秋や冬の時期、どんな風に過ごしていきたいですか?
そんな未来に、想いを馳せてみてください。