人間関係正直しんどい……そう思うこと、ありませんか?
気を使い過ぎて疲れてしまったり、つい言ってしまった言葉で相手を傷つけてしまったり。
いっそ誰とも会わずに一人でいたほうがいいのでは、と感じる日もあるでしょう。
それでも、誰かの言葉に救われたり、勇気づけられたりしたことで前に進めた経験もあるのではないでしょうか。
この記事では「人づきあいの痛みとよろこび」について、筆者の経験を交えて綴ってみたいと思います。
人との距離感を学ぶためには「失敗」も必要
誰かと深く話したあと「あれは言いすぎたかもしれない」と自己反省モードに入ること、ありますよね。
逆に「あの人、ちょっと踏み込みすぎじゃない?」とモヤモヤしたり。
でも実は、そんな経験こそが“ちょうどいい距離感”を学ぶ材料になるのだと、最近つくづく思います。
人との距離感や言葉の選び方は、本やマニュアルでは学べません。
実際に人と接して難しさを感じながらも、少しずつ自分と相手にとって心地よい関係のつくり方を探していくしかないんです。
そして、人と付き合う時には必ず「傷つく」ことがある。
傷つくことで少しずつ、人への伝え方や距離感を学んできた―そんな風に感じませんか?
傷づくこともまた、人づきあいの一部なのかもしれないと最近よく思います。
人づきあいへの苦手意識を克服するまで
幼少期から内弁慶
私は子どもの頃から、正直言って人づきあいが得意なほうではありませんでした。
傷つきやすく人見知り。
内弁慶で、表現の仕方が不器用。
一筋縄ではいかない、気難しさがあるのは結構父親譲りだと思っています。
自分でも「なんだか面倒くさいな、私」と思うことがあります。
そんな私がこれまで友達になったのは、決まって“社交的な”子でした。
上に兄弟がいるような、他人との関係に慣れていて、空気の読み方が上手な子たちに自然と惹かれました。
そしてその子たちと過ごすうちに、少しずつ人とのつきあい方を学んでいった気がします。
「こんな言い方をすると相手は笑うんだな」
「これ以上踏み込むと、相手は引いちゃうんだな」
「こんなふうに自分を表現していいんだな」
「人に甘えたり、頼ったりしてもいいんだな」
そんな感覚を、身をもって覚えていった時期でした。
社会人になってもコミュ障だった
社会人になってからも、いわゆる「コミュ障」気味でした。
特に「会社のお姉さまたち」とのランチタイムは苦手で、何を話したらいいのかわからず、理由をつけては外出して一人で食べていました。
無理に明るく振る舞うのも疲れるし、素のままの自分でうまくなじめるとも思えなかった。
休憩時間くらいは一人になって休みたい。
だから、人と距離をとって過ごした方が、ずっと楽だと感じていたのです。
苦手な仕事で、とことん鍛えられた
30歳を過ぎてそんな私が飛び込んだのは国際交流の世界。
「通訳コーディネーター」という担当になりました。
毎日、電話やメールで社外のクライアントや様々な言語の通訳者と連絡を取りスケジュール管理をしながら、社内スタッフとの調整もこなす日々。
逃げ場のないコミュニケーションが連続しました。
日々プレッシャーで胃が痛くなったこともあります。
でも、なんだか人への興味もあり続けられた。
毎日人と関わり続けた結果、苦手とか言ってられなくなり——
気づけば15年が経ち、あれほど苦手だった人づきあいが少しずつ“苦ではない”状況になっていたのです。
「慣れる」という言葉には不思議な力があります。
毎日接していれば、人にも自分にも、少しずつ余裕が生まれてくる。
こちらが誠意をもって接すれば、理解してくれる人はいる。
そんな日々の経験が、私の考え方を変えてくれました。
人への興味からキャリア支援の道へ
コミュニケーションに苦手意識がなくなってきたころ、私はふと「もっと人の話を聞きたい」「もっと深く関わってみたい」と思うようになりました。
それは、フリーランスでたくましく活躍している女性たちを目の当たりにしてきたからこそ見えてきた興味だったのかもしれません。
やがて私は、キャリアコンサルタントの資格を取得し、働く女性やフリーランス、ミドル世代の方のキャリア相談に関わるようになりました。
・不妊治療と仕事の両立に悩む方
・親の介護とパート勤務の間で揺れる方
・自分のやりたいことがわからず、模索中の方——
それぞれの人生の節目に寄り添いながら、私自身も人づきあいの奥深さや、支え合うことの尊さを学び続けています。
人が苦手だった私が、今は「初めまして」の人の話をひたすら聞く仕事をしている…人生って不思議なものだとつくづく感じます。
今でも決して「得意」とは言えません。
けれど「苦手」としり込みする気持ちは消えたように思います。
もともと苦手だったからこそ、そして今も決して得意ではないからこそ、
今人との距離感や接し方に悩んでいる人たちの気持ちを理解出来たり、理解したいと心から願ったりできるのではないかと思っています。
今でも、人が怖いと思うときはある

大人になった今でも、ふとした瞬間に人が怖くなることがあります。
何気ない一言で深く傷ついたり、誤解を恐れて言葉を飲み込んだり。
相談者の方からの強い言葉や視線におじけづいたり。
キャリア相談でアンケートにネガティブな意見を書かれて落ち込んだり。
「嫌われてしまったかも」
「私、面倒な人って思われたかな」
「あの言い方、よくなかった」
そんな不安が頭をよぎることも、正直まだあります。
でも、そんな弱さも含めて「私」という存在なんだとだんだん受け入れられるようになりました。
キャリア相談をするようになってからも多くの気づきがありました。
例えば――
・相談者は「弱っているものだ」という思い込みがある
・家族や夫婦関係の安定は「自分が支えなければいけない」と思っている
・人のせいにすることは良くない、頑張りが足りないと思っている
(「努力すべき」という”心理ドライバー”が強い)
そんな不完全で思い込みに縛られまくっている私でも受け入れてくれる人がいる。
それってすごくありがたいことだなと、しみじみ思うのです。
失敗することが、次の学びになる。
そうやって体得していくしかないのかな、と最近は思っています。
傷ついても”人との関わり”をあきらめない
今でも完璧な人づきあいができているわけではありません。
でも、若いころと違うのは「うまくやろうとしない」と思えるようになったこと。
嫌われたくないからといって無理をしすぎない。
合わない人があるのは当たり前。無理に仲良くしようとしない。
ちょっと言い過ぎたとしても「あーやっちゃった」「次気を付けよう」と反省できる余裕がある。
そして、自分なりの人との距離感や、ちょうどいい関係性が見えてきた気がします。
人づきあいって、時に面倒で、傷つく。
でもそれでも関わりたいと思えるのは、そこに「知りたい」という想いがあるから。
人と実際にかかわることでしか得られない喜びや温かさがあるから。
年齢とともに上手くできない自分、情けない自分をまるっと受け入れられるようになり、相手にも過度な期待を持たないようになった今、人と接することがずいぶん楽になりました。
人づきあいは、うまくいくことばかりじゃないし、時に傷つくことだってあります。
でもその「痛み」を知っているからこそ、人にやさしくなれるのだと思います。
人と関わることをあきらめない。
さて、あなたはこれからどんな風に人と接していきたいですか?
【音楽レッスン オトノミチシルベ】


